2020年08月04日
町家とは日本独自の文化より生まれた住居併設型の店舗を総称して町家(町屋)と呼びます。
時代劇などの城下町でよく民家が立ち並んでいる風景を見たことはないでしょうか?
広い一本道の左右に様々なお店が並び人々が賑わいながら暮らす映像が流れていたかと思います。
分かりやすく言うとあの立ち並んでいたお店が町家(町家)です。
町家(町屋)は大体が一階の玄関部分がお店となっており奥座敷や2階が住居スペースとなっております。
町家(町屋)は客間や敷地の奥には蔵もあったりして結構広い造りになっていたみたいです。
それこそお店は多種多様で町家(町屋)=このお店というものではなかったようです。
それからよく勘違いされる長屋ですが、あれは町家(町屋)とは違い完全に住居用の建物となっております。
町家(町屋)はお店なので比較的表通りに作られる事が多く長屋は裏の方の通りに作られていたみたいでした。
町家(町屋)は住居併設型の店舗
長屋は団地
みたいな感じで覚えていただければ分かりやすいかと思います。
ただ時代の発展と共に町家(町屋)も長屋もずいぶんと減ってしまいました。
当時の面影を残している本物の町家(町屋)は京都の町家(町屋)以外ではあまり見かけないかと思います。
京都の町家(町屋)も減りつつあるので大変貴重となってきております。
ぜひ現存する町家(町屋)の歴史と文化を京都のnao炬乃座(なおこのざ)にてご堪能下さい。
町家(町屋)ではその建てられた経緯や当時の環境により通常の民家とは少し違った構造となっております。
まず大体は一階から裏口まで真っ直ぐに一本道となっております。
これには2つの理由がございます。
まず当時はクーラーや扇風機などはありませんでしたので快適性の為と湿度を逃す為に風通しを良くする構造が必要でした。
そのため玄関から坪庭(または裏口)まで真っ直ぐに風の通り道があるのです。
2つ目は商人たちのお店として使われていた町家(町屋)ですので玄関はお店、在庫などは裏手の蔵などに保存されていました。
そのため在庫補充や商品の移動や書類の管理などの使いやすい動線が必要であったのではという意見もあります。(※諸説あり)
また大体の町家は2階建てとなっております。
これは店舗スペースが1階にあったことから居住スペースが2階にする必要があった為だと思います。
(蔵が2階にある場合もありますし、客間や宿泊する際の客室も2階にあるなど様々なケースの町家も存在します。)
ただ3階建ての町家はあまり見たことがありません。
もちろんあるにはあるのですが、横幅が極端に狭かったり、3階というか屋根裏部屋のような広さの物がほとんどでした。
※もし通常の民家と変わらない3階建てがあれば教えてください。※
京都の町家の特徴として「鰻の寝床」~うなぎのねどこ~というものがございます。
これは京都の町家は間口が狭く奥まった作りになっていることからそう呼ばれているそうです。
なぜこのように町家の造りに京都ではなったかというと京都の町会の維持費や幕府からの賦課金など(税金のようなもの)の計算が間口の大きさに依存していたことが理由だそうです。※諸説あり
nao炬乃座(なおこのざ)の大宮五条邸が一番分かりやすいかと思います。
画像を載せましたのでご確認ください。
このように狭い入り口で今でいう税金対策みたいなことを昔の京都の方々はされていたのだそうです。
※京都の町家の場合しか存じ上げないので京都とさせていただいております。
もし京都の以外の町家で京都のように町家に関する裏話があればご教示いただけますと幸いです。
京都のnao炬乃座(なおこのざ)では京都の町家を一棟まるまるお貸しして京都観光を120%ご堪能いただいております。
それは京都の観光地を回られてお帰りになられた際にも京都の文化と京都の歴史が京都のおばあちゃんのようにお客様を癒すからです。
京都をこれほどご堪能いただける方法は他にはないかと思います。
nao炬乃座(なおこのざ)では今までたくさんのお客様にお越しいただき皆様より嬉しいお言葉も頂戴いたしました。
このように元気の出るお言葉を支えにnao炬乃座(なおこのざ)は10年以上続けられているのだなと実感しております。
私共はお客様に本当に恵まれております。
また京都のnao炬乃座(なおこのざ)は京都の皆様のご協力により営業させていただいております。
お客様と京都の近隣住民の皆様の支えとご協力により絶妙なバランスでnao炬乃座(なおこのざ)は今後も成長を続けながら京都に在り続けたいと思います。
これを見たnao炬乃座(なおこのざ)にお越しいただく皆様やnao炬乃座(なおこのざ)の近隣にお住まいの皆様へこの場をお借りしてお礼申し上げます。